人形を愛でるのって、偶像崇拝?
数日前に、所有しているドールのメーカーさんの会報が届きました。
久しぶりに、何度も開いて見ています。
というのも、旧タイプのドールのボディを、新しい二重肘関節の物に交換してもらえる、キャンペーンが始まっているからです。
まぁ、若干安いけど有料で。
前回の小さいドールの時は、ボディタイプが変わってしまうので見送りました。
今回は、大きいサイズの女子タイプがあるので、旧ボディと、初期のピュアスキンで膝が安定し難い、その2体を、ボディ全てを交換しておこうかと思って、その記事の内容を読み返しておりました。
その2体は、いとこの形見なのですが、購入してから13年以上過ぎています。
販売されてすぐの頃に購入しているような番号だったような。
私の所に来てからの方が長く、11年8ヶ月ほど経ちました。
ピュアスキンの方は、エステでパーディングラインを除去してもらってて、その分勿体無いとも思うけど、腕だけ替えても色差が気になって来るし、脚も気になるし、座りも安定しなくて寝そべっちゃうので、全部交換を選ぶ事にします。
かなり思い切ります。
旧ボディの方は、膝の関節球体部分が新しいのと違って独特で、足は対応する靴が無くて普通に靴が履けないし、座り方が女子っぽくない、立たせた時の脚の開きなどのクセがあるのです。
こちらも特別カラーで対応してくれるようなので、新しいボディに全部交換です。
その2体を棚から出して、久しぶりに持ち上げると、結構重たいわー。
持って行くのも一苦労だけど、戻りには配送を頼むので安心です。
お願いするのは地元の店舗まで行って来ます。
そこで、受付してもらえるボディタイプかの相談も出来ますからね。
しかし、例のイベント前に頼んでくるけど、遅いと、ひと月半後に戻って来ます。
この様に、ポジティブな行動や思いでドールを持ってて、性格付けしたりというのは、偶像崇拝に含まれるのかなぁ? と、ちょっと思った。
ダークな扱いをしている場合とは、違う事をハッキリさせておきます。
この先何年、今所有しているドールや、持ち物と一緒に過ごす、過ごせるかは、今の私には分からないけど、いまのうちにしてあげられる事をやっておく、それを共に楽しむ、そして表現する事は、光からは反れていないと思いたいです。
どのへんまでが内面の問題では執着心なのか、覚悟が出来ている度合いによって、その人次第ですね。
ドールを写真素材として使って、アート的に光のイメージを作るのも、私のやりたい事の1つなのです。
この今の自分の場所を離れる時が来たら、全ての物に対して終着を捨てるのか、自分が作った物は持って行けるか分からないけど、やはり寂しくなる部分はありそうだけど。
まぁ、それまで有難うの気持ちで接していきますけどね😊
人形たちの心は、私の一部だから、みんな一緒なんですよ〜。
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